入川保則さん

医師から宣告されて、落ち込んだり、自暴自棄になったりということはなかったのですか?

精神的なショックは、ほとんどなかったんですよ。その前から予測はついていたし、自分の身体だから自分でわかる。覚悟はしていたんです。年齢的に72歳。舞台俳優としてはそろそろ無理だなと思っていたし。声は出るんですよ。身体も動く。でも、微妙な反射神経がね、だめになるんです。病気のことがなくても、俳優としてはそろそろ引退だなと思っていました。

引退と病気が同時だったと。

そう。引退と病気のことがピッタリ一致した。割り切りやすかったんですね。僕は仕事ができなくなったら、死んでるのと同じ。俳優は芸術という言葉に隠れた肉体労働者ですからね。以前から、仕事ができなくなるときと死が一緒になったら嬉しいという考えがあった。他にやることないから(笑い)。

公表された理由は。

公表したのは、舞台に穴を開けた罰則です。沖縄では97公演のうち88公演に穴を開けました。えらい損害を与えているんですよ。役者としては死んでお詫びする以上のことです。こんなアクシデントは初めてですからね。このまま死ねたらどれだけ楽かと思いましたよ(笑い)。その驚き、ショックは大変なものだった。死を宣告されたことよりも舞台に穴を開けたことがショックでした。

 

横浜仏壇メモリアルショールーム

延命治療をしないという決断は勇気がいったのではないですか。

仕事ができなくなったら、生きていてもようがない(笑い)。食糧事情等みても、日本も世界も苦しい、大変な状況です。人間界だけ自然に逆らって寿命を延ばしているけれど、結婚に適齢期があるように、死にも適齢期があっていいと考えているんです。ほどほどにね。余計な延命はやめようと。

もともとそういうお考えがあったということですか。

みんな元気で早く死のう、という運動を起こそうと思っているんですよ。そうしないとね、若い人が伸びられない。冷たい意味ではなくて、健康な死に方を考えたい。もちろんしっかりしていて、元気でいられたら百歳だろうといいでしょうけどね。

寿命と向き合うということですね。とても大切なことだと思いますが、そのためには今の生き方が重要だと思います。入川さんはボランティで朗読会を行ったり、本を書かれたり、社会活動的なこともされていますね。

そんなたいそうなことを考えているわけではないんですよ(笑い)。今の自分を大切にして生き切る。本にも書いているけど、人間はいつか必ず死ぬ。しかもみんなバラバラに死ぬんだと。今一緒にいる仲間の一人が明日死ぬかも知らない。だからこそ今日一日を一生懸命に生きることが大切なんだと。それは大人になって教えても遅くて、小学生のころから教えないとダメ。そのような教育をしていけば、いじめなんてなくなると思います。

子ども達に、死を意識して生きることを伝えるのは難しいことですね。

人生とは何か、子どもに質問されたときに、「人生は苦」と答えています。人間は生まれたとたんに最悪だと思えと。苦をいかに自分の力で楽しい、楽に変えていけるか、その道程を人生というんだと。苦しい中を冒険して進む。冒険をしてみたら楽しかった。だからそれを子ども達にも味わって欲しいと。

人生は苦から始まる…。

実際どこに生まれても、人生は苦ですよ(笑い)。お金がある、ない、の問題じゃない。どんな大波が待っているかわからない。嵐の中にくりだすかもしれない。それをいかに平穏な方へ舵を取るか、乗り切るか。

常日頃からもしもの時のことを考えられていたのですか。

偉そうなことを言っても50代の頃は考えなかったですね。死なんて頭をよぎったこともなかったですよ。60の坂を越えて、人のお葬式に出たりしているうちにだんだんと。

世の中には、死を覚悟して、受け入れている方がたくさんいると思います。入川さんは、その方々へ、どう生き切るか、次につなげるのかというメッセージを発信されている。入川さんのような生き方ができたらいいなと思っています。

僕がやれることは役者だけ。そのできることを、一生懸命やれればということ。それで死ねるなら、これ以上幸せなことはないですよ。これも本に書きましたけど、じたばたするのが悪いことではない。じたばたするのは生きている証拠でもありますからね(笑い)。いろいろな考え方があっていいし、死というもののとらえ方があっていい。受け入れ方を強制しようとか思っていない。ただ、僕としてはベター。幸せに繋がっているということです。

じたばたするところから立ち直る為のアドバイスはありますか。

アドバイスなんて言えませんが、じたばたしてもしなくても死は同じにくる。僕は、取り乱して見えるだけだからやめようと。そりゃ、じたばたして病気がよくなるんだったら、じたばたしますよ(笑い)。

葬儀のこともご自分で決められているとか。

はい、葬儀社を決めて、式次第や、残った家族へのメッセージも書いてあります。

これだけはやっておきたいということはありますか。

これから映画を一本撮るんですよ。シナリオが少し遅れているから、すぐに死ねなくなった(笑い)。僕は、昔風の喫茶店のマスター。そこを訪れる人の相談にのったり、巻き込まれたり。面白い話になるのではないかと思っています。途中で倒れたらどうしようとスタッフに話したら、そしたらドキュメンタリーに変えようと。入川はこうやって死んだと。それで皆で大笑いですよ。人の死を笑いの種にしている(笑い)。

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毎日を楽しんでいらっしゃるのが伝わります。

死ぬことを決して恐れてはいない。いつ死ぬかは医者だってわからないですからね。今は予感もありません。好きなものを食べて、好きなお酒をガバガバ飲んで。食べるものも美味しい。今までぞんざいに食べていたけど、しっかり味わうようになった。美味しい。非常に美味しい(笑い)。

一日が濃いですね。

七十二年という人生の中で、今が一番充実していて、一番ハッピー。僕はガンにかかってから、生まれたようなものです(笑い)。